円空仏とは

円空仏

円空仏

美濃国(現在の岐阜県)で生まれ、全国を行脚しながら12万体もの仏像を製作したと伝えられる江戸時代の僧・円空。ノミ跡が残る素朴で荒々しい造形、ほほ笑みをたたえた柔和な表情を特徴とする木彫仏は「円空仏」と呼ばれ、各地で大切に守り継がれてきました。岐阜県内には「円空仏」の作品はもちろん、円空ゆかりの史跡や逸話が多く残されています。それらにふれ、生涯を祈りの旅に捧げた円空の生きざまに思いをはせてみませんか。

12万体もの仏像を彫り上げた円空

1632(寛永9)年に美濃国(現在の岐阜県)で生まれた円空は、幼少期に出家し、全国各地を遍歴。生涯で12万体の仏像を彫ることを誓い、布教のかたわら、訪れた土地で手に入る木材を使って造仏を続けました。その足跡は岐阜県や近隣の県にとどまらず、関東地方や東北地方、北海道にまでおよび、約5,000体の現存が確認されています。
旅の中で、人々とふれ合いながら修行を重ねた円空。誓願の12万体の仏像を彫り終えた晩年は、出生地である美濃国に戻り、現在の岐阜県関市の弥勒寺に自坊をかまえた後、長良川河畔で即身仏となって64歳の生涯を閉じました。

円空上人像千光寺蔵(高山市丹生川町)
円空上人像
千光寺蔵(高山市丹生川町)

民衆を励ましたほほ笑み

美しい装飾に厳かな顔。これが古くから守られてきた仏像造りの基本でした。一方、「円空仏」は装飾はおろか、塗装も施されず、木の割れ目や節、ノミ跡があらわになった粗削りな作品が多くあります。このことは「人々が仏像を身近に拝めるように」という円空の思いの表れであり、12万体とされる量産を可能にした秘訣ともいえるでしょう。
しかし「円空仏」の最大の魅力は、眺めているだけで心が和む、ほほ笑みをたたえた表情。その優しい表情が大災や飢きん、病に悩み苦しむ当時の民衆に慈愛と励ましのメッセージを届けたことは想像に難くありません。

十一面観音像中観音堂蔵(羽島市)
十一面観音像
中観音堂蔵(羽島市)
青面金剛神像下呂温泉合掌村 円空館(下呂市)
青面金剛神像
下呂温泉合掌村 円空館(下呂市)

円空ゆかりの地 岐阜県

国内で現存が確認されている「円空仏」約5,000体のうち、1,300体が岐阜県内で大切に守り継がれています。その数の多さに加え、初期から晩年までの作品が揃っているのが特徴。岐阜県内のゆかりの地を巡れば、「円空仏」の魅力を味わい尽くすことができるといっても過言ではありません。
旅に生き、日本中の救われぬ人々のために、ひたむきに仏像を彫り続けた遊行僧・円空。平和への願いは「円空仏」に宿り、時空を超えて私たちの心に訴えかけます。慈愛に満ちたそのほほ笑みに出会いに、ぜひ岐阜県を訪れてください。

一木三尊像高賀神社蔵(関市)
一木三尊像
高賀神社蔵(関市)

円空の足跡

一六三二(寛永九)美濃国(現在の岐阜県)に生まれる。
一六三八(寛永十五) 七歳長良川の洪水で母を亡くす。
一六六三(寛文三) 三二歳岐阜県郡上市美並町の神明神社の天照大神像など三体の神像を作る。
一六六四(寛文四) 三三歳九月、郡上市美並町の白山神社の阿弥陀如来像を作る。十二月、郡上市美並町の子安神社で諸像を作る。
一六六六(寛文六) 三五歳青森・北海道を旅し、各地で多数の仏像を作る。
一六六九(寛文九) 三八歳愛知県名古屋市千種区の舵薬師堂の諸像十七体を作る。岐阜県関市武儀町の白山神社で白山三尊を作る。
一六七〇(寛文十) 三九歳郡上市美並町の黒地神明社の天照皇太神像を作る。
一六七一(寛文十一) 四十歳奈良法隆寺の巡尭春塘から、「法相中宗血脈」を承ける。母の三十三回忌供蓑として岐阜県羽島市上中町中に観音堂を建て、本尊十一面観音を作る。
一六七三(延宝元) 四二歳奈良県吉野郡天川村栃尾観音堂の諸像を造顕。
一六七四(延宝二) 四三歳三重県志摩市片田三蔵寺や立神薬師堂に伝わる「大般若経」六百巻を修復。
一六七五(延宝三) 四四歳吉野郡の大峯山で役行者の像を刻む。
一六七六(延宝四) 四五歳名古屋市守山区龍泉寺の馬頭観音など諸像を作る。名古屋市中川区荒子観音寺で仁王像と千面菩薩などを作る。
一六七九(延宝七) 四八歳白山の神より託宣を受けて不動明王像三体と十一面観音像一体を作り、郡上市美並町の杉原熊野神社などに納める。滋賀県大津市園城寺円満院門流霊鷲院兼日光院の尊栄大僧正から、「仏性常住金剛宝戒相承血脈」を受ける。
一六八一(天和元) 五十歳北関東地方を旅し、群馬県富岡市の貫前神社に生年を記し、漠詩や和歌も残す。
一六八四(貞享元) 五三歳関市洞戸の高賀神社に滞在して漠詩や和歌を詠み仏像も残す。名古屋市中川区荒子観音寺の円盛法印から「天台円頓菩薩戒師資相承血脈」を受ける。
一六八五(貞享二) 五四歳岐阜県高山市丹生川町の千光寺に滞在し、両面宿儺など多数の仏像や和歌を残す。
一六八六(貞享三) 五五歳羽島市竹鼻町狐穴で稲荷神社のご神体を作る。高山市で不動像(個人蔵)を作る。長野県木曽郡南木曽町の等覚寺で天神像など諸像を作る。
一六八九(元禄二) 五八歳滋賀県米原市の伊吹山太平寺観音堂の十一面観音を作る。滋賀県大津市園城寺の尊栄大僧正から「授決集最秘師資相承血脈」を受ける。また、自坊の関市池尻の弥勒寺が天台宗寺門派総本山園城寺内霊鷲院兼日光院末寺に召し加えられる。
一六九〇(元禄三) 五九歳高山市上宝町の金木戸で十一面観音など三体を作り、背面に誓願の十万体造顕達成を記す。現在は同町桂峰寺に祀られている。
一六九一(元禄四) 六十歳岐阜県下呂市金山町菅田で四月二十日、青面金剛神像を作る。また、二日後の四月二十二日、同市小川にて青面金剛神像を作る。
一六九二(元禄五) 六一歳関市洞戸の高賀神社境内にあった観音堂で最後の作品となる十一面三尊と虚空蔵菩薩など数十体を制作する。
一六九五(元禄八) 六四歳七月十三日、弟子円長に「授決集最秘師資相承血脈」を与える。二日後の十五日、盂蘭盆のとき、関市池尻の長良川河畔で入定を遂げる。

監修:羽島市円空顕彰会

円空仏の作風の変遷

  • 初期
    先人の作品を参考に木彫仏を作り始めた円空。
    初期の作品はノミ跡が繊細で、全体的に丁寧に彫り込まれています。
  • 中期
    造仏の簡略化を進め、円空らしさを確立していった時期。
    小さな端材を使った「木っ端仏」も作り始めました。
  • 円熟期
    鉈(なた)で木材を断ち割り、一気呵成に仏像を彫り上げた円熟期。
    躍動感と生命力に満ちた名作が多く作られました。